
1974年 高知県高知市に生まれる
実家は、製麺卸売業を経営。幼少期は、両親曰く物静かな
子供だったようです。
1978年 高知私立杉の子幼稚園入園
徒歩1分で通園できる自宅の隣にある幼稚園に入園。
園内の出し物では、毎年主役をさせてもらっていた
記憶があります。
この頃から人前に出るのが好きだったのかもしれません(笑)
1981年 高知私立高知小学校入学
1歳上の姉と同じ小学校に入学(後に3歳年下の弟も入学し、3姉弟で
通学していました)小学校時代は、勉強・スポーツ万能の少年でした。
クラブでは吹奏楽部に入部し、トランペットを演奏。
両親が仕事で忙しかったこともあり、剣道・水泳・硬筆・ピアノ等
たくさんの習い事をさせてもらいました。
小学校5年生から2年間は、近所にあるスパルタ式の進学塾に通い、
ひたすら勉強の日々。問題を間違えたりすると、気合を入れなおす為に、
先生方によくビンタをされた記憶があります(苦笑)。今の時代では、
あまり考えられませんが…。
1987年 小学校卒業、高知私立土佐中学校入学
進学塾に通っていたおかげもあり、中高一貫教育の進学校に入学。
ところが、入学したとたんに勉強することの目的・意義を見失って、
勉強をしなくなり、成績が大幅に低下。
学年からも下から数えて数番目という成績に陥り、エスカレーターで
進学できる予定だった高校に進学できずに浪人してしまうことになりました。
1990年 中学卒業後、高校に進学できず浪人生活開始
最初の一年間は、何もしない日々(今で言うニートのような生活だと思います)
家から出ることもなく、昼過ぎに起きて朝方に寝る生活を続けていました。
一年たったある日、父から「このまま、勉強せずに働くのか?」と聞かれ、
自分が今ある環境に甘えていることを痛感。改めて自分の人生を考え直しました。
自分の将来を考えると、実家が商売していたこともあり、「会社経営に携わる仕事
がしたい!それにまつわる勉強をする為に、そして大卒という最終学歴を得る為
に、大学に進学しよう!」と決意。
大学進学にあたり、受験資格を得る為、大学入学資格検定試験(通称:大検)の
勉強を開始。
19歳で大検に合格。そして20歳で近畿大学商経学部に無事合格しました。
1995年 近畿大学商経学部経営学科入学
大学に進学してからは、母の勧めもあり、簿記を勉強できるクラブ「会計学研究会」
に入部。
一回生で日商簿記検定2級、建設業経理事務士2級の資格を取得。
一回生の後半からは一年間かけて、会計学を勉強。私自身が管理会計を
選考して、経営管理や管理会計のあり方、ツールを学びました。今思うと、
この時が人生で一番勉強に時間を費やしたかも知れませんね(笑)。毎日、
朝から晩まで図書館に入り浸っていました。論文は学生時代で10本ほど
作成したと思います。
おかげさまで、文章能力が結構つきました。
二回生の秋には関西学生会計学研究会で管理会計の論文を発表。
二回生の後半からは一年間、執行部としてクラブの委員長に就任。クラブの名称
は硬い印象がありますが、中身はものすごく体育会系だったので、
「人と人とが信頼関係を築くとは?」
「上限関係とは?」
「組織とはどうあるべきか?」
といった面で、非常に勉強をさせてもらいました。
春夏の合宿、年四回の総会(クラブの活動内容を全員で審査する会)、討論会や
レクリェーション等クラブ中心の生活を委員長時代は送っていました。
執行部引退後は、クラブの上部団体の委員長にも就任する等、卒業までは
クラブを中心とした多忙な日々を送っていました。
クラブも一生懸命に取り組みましたが、大学のクラスの友達ともたくさん
遊びました。
4回生の夏には、男7人で沖縄の離島へ卒業旅行に!
よく遊び、よく学び、たくさんの友達と過ごした大学生活でした。
今でも大学時代の友人とは、たまに会って、お互いの現状報告をしてたくさんの
刺激を受けています。
大学も4回生を迎え、就職活動を行うにあたって、実家に帰省することも考えました
が、やはり「経営に携わる仕事がしたい」という気持ちと、学生時代に勉強した
「管理会計」を活かせる仕事がしたい、そして何より
「たくさんの経営者と直に接する仕事がしたい」との想いから、大阪市内にある
大手会計事務所に就職することにしました。

1999年3月 近畿大学商経学部経営学科卒業後、大阪市内の会計事務所に入社
就職した会計事務所では、一年目はひたすら営業の日々。
「お客様は与えられるものだ」と思っていた私にとっては、一件一件の
お客様とご契約させて頂き、仕事をさせて頂けることのありがたさ等、
毎日営業する中で、たくさんの学びを得ることができました。
また、一年目から先輩社員担当のお客様を引き継いで、担当を持たせて
頂くことにもなり、当時は知識不足でしたが、法人・個人の決算、申告業務に
携わらせていただき、税務に関する知識を多数習得することができました。
また、その一方で会計事務所が提供する経営コンサルティング業務
(経営計画の立案や人事制度の構築)に携わらさせていただくと共に、
品質管理責任者として社内のISO9000シリーズの取得も担当させて
頂き、ISO・品質管理の面でも多くのノウハウを得ることができました。
そして3年目から自分の部署を持たせてもらい、4名の部下と共に売上目標・
新規契約目標の達成に向けて日々精進し、結果的に退職するまでの
25ヶ月間、全ての月で目標売上を達成することができました。
当時、毎月100件近くの試算表に目を通していたので、試算表・決算書を
見る目は、ここで培われました。この時は、私を含めて若手社員4名、
パートスタッフ1名で年間7,200万円の売上予算を達成していました
ので、今考えると結構すごいですね。
これは、たくさんのお客様を担当させて頂いた結果、ということも言えますが、
同時に売上の過度な追求でお客様からのクレーム・解約、社員の退職が
後を絶たないという現状も生んでしまい、私自身も行き詰まりを感じて
いましたし、お客様のニーズの中には、
「資金繰りを改善したい」
「いくらの予算を設定すればいいのか?」
「メインバンクに出す資料を作成して欲しい」といったように、
税金以外の数字に関する項目がたくさん出ている要望・ニーズもたくさん
ありました。
その結果、「自分の一度しかない人生を、悔いなく過ごしたい」という想いで
一念発起すると共に、中小企業の財務を改善できるお手伝いできる仕事を
通じて、世の中のお役に立とう!と決意し、同社を退職し、M's Factoryを
創業しました。
2003年9月 M's Factoryを創業
退職後、お客様0件で会社を創業しました。会社の外に出ることで、初めて
「今まで会社の傘のもとで、仕事ができていた」ことを痛感しました。
国民生活金融公庫に借入に出向きましたが、冷たい対応でしたし、
毎月経費はたくさん出て行くのに、お客様は0件という状況ではありましたが、
「中小企業の財務を改善する」
という創業時の気持ちを思い出しながら、目的を持って、商品作成に時間を
割いて準備すると共に、会社の営業を開始しました。
開業後、約1ヶ月半は売上0円でしたが、ある時、とある経営者の方から、
顧問料を年払いで払ってくれるという話を頂くと共に、他の経営者の方から、
お知り合いの経営者をご紹介いただけたことで、おかげさまで損益分岐点も
越えて、自分も開業後半年経過した頃から給料をいただけることになりました。
また、会社としては、新卒採用活動や、ボランティア活動にも取り組み、
現在、大阪・兵庫県のお客様を中心に、財務・経営コンサルティング業務を
実施させて頂いております。
2007年1月 13日(大安)に結婚しました。現在は、妻のサポートを受けながら、
仕事にプライベートに充実した毎日を送っています。

2007年7月 財務改善ドットトコム サイトを開設
創業から今日まで、当社の主要業務は「訪問コンサルティング業務」となって
いましたが、今後は、当社が培ってきたノウハウを、インターネットを通じて、
より多くの中小企業経営者・経営幹部・経理担当者に公開し、一社でも多くの
中小企業の財務部門を活性化したいと思い、この「財務改善ドットコム」サイト
を開設しました。
皆様のお役に立てるサイトとなるよう、財務に特化して役立つ情報を
発信します。
